瀬戸内海 の特徴 《まとめ》

瀬戸内海

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多島海

島の総数727。そのうち有人島は約150。その他は無人島。島に含まれない岩礁も含めると総数2000以上。瀬戸内海は島だらけな日本最大の多島海。

多島海

おだやかな内海

瀬戸内は自然災害が少ない非常におだやかな海である。海が穏やかな理由は、外洋からの大きな 「うねり」 の影響を受けないこと。海域の幅が狭いため、うねりが発生しても大きくならないこと。水深が浅く(平均30M)障害物となる島や岩礁が多いこと。波を吸収する砂浜が多いこと。そして大河のように流れる 「潮流」 が、波やうねりのエネルギーを吸収してしまうこと。以上、瀬戸内海は陸と潮流にプロテクトされた希有なる海である。

補足:うねりと波、潮流と海流について

」(風浪)とは風のエネルギーによって引き起こされるものであるが、「うねり」は波が一つの塊になった波長の長い大きなエネルギーの流れである。うねりは水が動いてるようにも見えるが、水自体は止まっており、水の中を巨大なエネルギーが流れている現象である。例えばハワイのノースショアで起こるビッグウェイブは低気圧の墓場と呼ばれるベーリング海(アラスカ)で発生した巨大なうねり(エネルギー)がハワイ沖まで到達し、リーフでブレイクして巨大な波となったものである。

一方「潮流」は月の引力によって生じる「潮汐」(干満)による「水の流れ」である。波やうねりとの違いは、川と同様、水そのものの流れであること。なお、「海流」 とは地球の自転や貿易風などによってもたらされる恒常的な水の流れのこと。

凪

4月後半の凪の海。高気圧の中心に入った春の海は湖よりも穏やかである。淡水と比べて海水はとろりした若干のネバリがあり柔らかく心地良い。

世界有数の潮流海域

瀬戸内海には二つの顔がある。見た目は湖のような波のない穏やかな内海。そしてもう一つは 「」 が超高速に流れる世界有数の「潮流海域」 。「潮流」 は月の引力がもたらす巨大なエネルギーの流れ。波と違い陸からは見えづらいため一見すると穏やかな海に見える。しかし、水面下は平均速度3~4ノット、場所と時間帯によっては10ノット(時速18キロ)を超える流れになることもある。中でも満潮から干潮に向かう 「下げ」 の時間帯は勢いが増すため、海域の幅が狭い 「瀬戸」 では 「渦潮」 となる場所もある。鳴門海峡や来島海峡が代表例。

なお、「瀬戸」とは「瀬戸際」のことで、島と島の間の「海峡」のこと。古来より瀬戸は航海の難所であり、海難事故の多発地点であった。中でも瀬戸内海の中央に位置する 「しまなみ街道」 の周辺海域は流速が非常に速く、村上水軍の拠点であった「能島の船折瀬戸」などは、文字通り船がへし折れるほどの驚異的な潮流スピードとなる。しかし、この潮流のおかげで航海技術が磨かれた。瀬戸内の文化は全て潮流がもたらした文化である。

瀬戸の潮流。動画は直島諸島。上げ潮時のため潮流速度は4ノットほどであるが、下げに入ると更に激しくなる。海と言うよりは大きな河である。
潮待ち・風待ち

潮流」が激しい瀬戸内海には、かつて 「潮待ち・風待ち」 と呼ばれる航海文化があり、それにより街が形成された独自の歴史がある。潮流は約6時間置きに入れ替わるが、流れる方向が変わるため、帆船や人力船の時代は、潮の流れに沿って航海し、潮の向きが逆になったらどこかの港に入港し、再び潮が流れるまで待つ必要があった。そうして登場したのが「潮待ち港」と呼ばれる寄港地である。

中でも江戸時代に登場した「北前船」により「沖乗り航路」(沖合の島々を結ぶ本船航路)が開拓された以降は、その航路が物流の要となり、沖合の島々や半島の先端部が寄港地として賑わった。現代では陸の孤島と呼ばれるようなへんぴな場所に存在しているが、江戸時代には全国の情報が集まる最先端の場所でもあったのだ。代表的な寄港地としては、「鞆の浦」(広島県福山市)や大崎下島の 「御手洗」(広島県呉市)などがある。

瀬戸内海潮流図

これは瀬戸内の潮流の流れを示した図である。「潮流」 は、干潮から満潮にかけて、西の豊後水道と東の紀伊水道から潮が流入し、中央の備後灘(鞆の浦沖合)あたりで合流する。(合流するポイントを「分水嶺」と言う)対して、満潮から干潮時にかけては流れが逆向きになり両サイドの太平洋側へと流れ出る。この時、満潮にかけて潮が上がって行くことを 「上げ潮」(上げ)、潮が下がって行くことを 「下げ潮」 (下げ)と呼ぶ。この潮の流れを応用すると、大阪から九州まで航海する場合は、「上げ」 に乗って航海し、分水嶺を超えたら今度は 「下げ」 に乗って航海する。といった具合である。

御手洗

北前船と寄港地

写真は寄港地の一つである大崎下島の 「御手洗」(みたらい)。江戸時代から明治にかけて活躍した 「北前船」 の船乗りたちで賑わった芸妓の街である。昔の海図には 「桃林」 と記されているが、全国から女子たちが集まった場所だ。金持ちの船乗りたちが海から遊びに来るからだ。当時は中心は大阪であり、瀬戸内は物流のパイプラインであったが、北前船の 「西回り航路」 が発達すると、各地に寄港地と呼ばれる要所が誕生した。

ちなみに北前船とは江戸時代から明治にかけて活躍した、主に食糧物資を運ぶ木造の大型商船(帆船)で、大阪から瀬戸内を経て下関を廻り、九州、山陰、北陸、そして蝦夷地(北海道)を結ぶ物流の要であった。航路を開いたのは北陸百万石の加賀藩である。大量の米を大阪へと運ぶ水路として、それまで琵琶湖から淀川水系を抜ける内陸航路を使っていたが、ロスが大きかったため、それに代わる航路として加賀藩が「西回り航路」を開発した。海は大量の物資を運べるため以降物流の本流となった。なお、瀬戸内や関西では北陸を「北前」と呼んでいたので北前船である。

北前船は春に大阪を出航。米を中心に塩、砂糖、酒、酢、綿、薬、反物などあらゆる生活物資を積み込んで瀬戸内を西へと進み、下関を折り返して日本海側を北上し約3ヶ月をかけて夏頃に北海道に到着。そして北海道を折り返し、同じ航路を逆戻りして秋ころに大阪に到着する半年がかりの航海であった。途中、積み荷を寄港地に下ろしては、空いた隙間にその土地の物資を積み込みといったことを繰り返しながらの航海であったが、一航海あたりの額を今に換算すると1億円から2億円の収益を上げていたというから、寄港地に女子たちが集まるのもうなずける。しかも、全国津々浦々を巡る船乗りたちは陸の男たちが知らない多くの情報を持っていた。インターネットの無い時代は海が情報ハイウェイであった。今風に言えば、彼らはマーケティングを駆使して 「有るものを無いところに届ける」 というトレーディングを行うトレーダーであり、寄港地は最先端の情報と金が集まる情報の集積地、つまりオーシャンバレーでもあったわけだ。

朝凪・夕凪

外洋からのうねりの影響を受けない瀬戸内は、風が止まると湖よりも静かな「」となる。中でも「海陸風」が入れ替わる朝と夕方の時間帯で気圧にの中心に入った時は、完全なる「凪」となり、海上は音のない世界となる。

夕凪

風が止まると書いて「凪」と書く。海に空が映り込むので「鏡」とも言う。

平均水深30メートル

瀬戸内海はかつて陸地だったところが海面上昇により海になった場所。よって水深が非常に浅く、最も深い部分でも200メートル。平均は30メートルほどである。

干潟

かつては遠浅の干潟が多く存在していた瀬戸内海。春には潮干狩りで賑わった。しかし、干拓や護岸が進んだ今となっては自然の浜は、もはや2割しか残っていない。

干満の差が激しい

瀬戸内は平均して2~3メートルの干満の差がある。東西から潮が合流する中央部(広島あたり)では更に4メートルを超えるところもある。そこで、干満の差に合わせていつでも船に乗れるよう階段状の 「雁木」(船着場)がつくられた。また、瀬戸内は水深が浅いため、干潮時に潮が引くと歩いて渡れる 「陸橋」 が出現するポイントもあり、観光ポイントにもなっている。

鞆の浦の雁木

鞆の浦の雁木:干満の差に応じて船が発着しやすいよう、階段状にななっている。

エンジェルロード満潮
エンジェルロード干潮

小豆島のエンジェルロード。潮汐により道が出現する。上が満潮時、下が干潮時。瀬戸内にはこうした場所がいたるところに点在している。

潮の匂いがしない & 海に入ってもベタベタしない

瀬戸内海がなんとなく海っぽくないような感じがするのは、海の穏やかさもされど、実は海特有の 「磯の匂い」 がしないことにある。大小含めると約2000系の河川が流れ込む瀬戸内海は、海水と淡水が混じり合う河口域のような海である。よって磯の匂いがほとんどしない。さらに海に入ってもベタベタしない。海はベタベタするのが嫌だと言う人も多いが、瀬戸内は非常にサラサラとした心地良い潮である。

小豆島

うまい魚と柑橘系の宝庫

魚好きが高じて島に移住する人は多いが、島の魚屋さん曰く、瀬戸内は魚がおいしくなる条件が全て揃っているのだとか。中でも一番は潮の質にあるらしい。太平洋は業界では「荒潮」と呼び、全体的に身がぽっちゃりした魚が多く、水温が高くなるほどこの傾向は強くなるという。対して瀬戸内の魚は全体的に身が固く筋肉質な魚が多い。臭みも少なく甘みも強い。魚の旨味はエサだと言われる。中でもエビが多い海域の魚は身が甘くなる。その点瀬戸内には非常にエビ類が多い。潮流の影響もある。鯛は水深の深い海底に暮らしているが、水深の深い場所は潮流が激しい。つまり激しい海流の中をひたすら泳ぎ続けなくては行かないため、必然的に筋肉質な魚になるのである。

瀬戸内海の蝦

また、豊穣の海と呼ばれる海域には共通してあるものの存在が影響している。それは「川」である。三陸は世界の三大漁場に数えられるが、当初は海流がぶつかることが要因だと考えられていた。ところが最近になってアムール川の栄養分がオホーツクを経由して流れ込んでいることが大きな理由だということが判明した。そうして考えると三大漁場の一つであるカナダのニューファンドランド島周辺にはセントローレンス川が。世界中の海獣たちがエサを求めて集うベーリング海はには大陸を横断して流れ込むユーコン川が。北極海にはマッケンジーが流れ込んでいる。つまり、海を育てるのは川である。川が鉄分を含んだミネラルを海へと運び、そのミネラルにより植物が育ち、それにより魚が増えるという循環である。約2000系の河川が流れ込む瀬戸内はかつて世界一の水揚げ量を誇る豊穣の海であった。むろん、ダムによって水がせき止められ、沿岸の多くの場所がコンクリートで護岸され、藻場が消え去ってしまった今となっては風前の灯火であるが・・・。

大崎下島

写真はとびしま海道にある、みかん&レモン栽培の発祥の地。大崎下島。潮風がおいしい柑橘を育てる。もちろん島の人たちの努力の蓄積。瀬戸内海にはみかんと段々畑がよく似合う。

海がエメラルドグリーン

瀬戸内は夏と冬とでは海の色が違う。水温が低い冬場は透明度が高くなるため、光の屈折により青みが強くなるが、水温が上がるとプランクトンが増殖するため水の透明度が下がり、エメラルドグリーンに変身する。直物ブランクトンが緑色だからだ。そのためダイビングには向かないが、小魚たちには天国のような海である。

夏の瀬戸内海
夏の海。透明度が下がりエメラルドグリーン。
冬の瀬戸内海
冬の海。水温が低い冬から春にかけては透明度が高く、光が海底まで届くため、植物たちが育つ。
空気が超ドライ!

瀬戸内は地中海性気候に似た 「瀬戸内式気候」。北は中国山地、南は四国山地に挟まれているため、季節風がそれぞれの山でブロックされて乾いた風が瀬戸内側へと抜けてくる。そのため降水量が極めて少なく、年間1000ミリ程度と全国平均の半分程度しか雨が降らない。よって晴天の日が多く日照時間が長い。更に海と陸との間には温度差(気圧差)が生じやすいため、局地的な 「海陸風」 が吹く。この風により更に空気が乾燥する。中でも瀬戸内の東側の備讃瀬戸(岡山と香川)は最も空気が乾燥した干ばつ地帯であるため、植物たちは乾燥に強い植生へと傾く。乾燥して枯れないように自分で油を蓄えるのだ。小豆島ではオリーブが良く育つ。

小豆島のドライな風のメカニズム

オリーブ

空気が乾燥した小豆島はオリーブの産地。

日本で最初の国立公園

鞆の浦

世界遺産ばかりが注目される昨今であるが、瀬戸内海は日本第一号の「国立公園」に指定された景勝地。豊かな生態系や環境保全を目的にした 「国立公園法」 の整備により環境省が定めたもので、昭和9年に、瀬戸内海国立公園、雲仙国立公園、霧島国立公園の三つが指定を受けた。評価の背景には 「シーボルト」 や 「朝鮮通信使」 などによる外国人たちが瀬戸内を高く評価したことがあげられる。上の写真はおなじみ 「サザエさん」 のオープニングにも登場する鞆の浦の 「福禅寺・対潮楼」。「日東第一形勝」 とは 「朝鮮より東で一番美しい景勝」 という意味であるが、海を渡って来た人たちにとって、心安らぐ多島海の風景には特別な 「ニッポン」 があったようだ。なお、瀬戸内海という名称は明治時代に入って付けられた名称で、シーボルトたちが航海した時代には海域全体の名称がなかったため、”THE ISLAND SEA” と命名し、後年日本名として 「瀬戸内海」 という名称が与えられた。ちなみに 「鞆」 は映画 「崖の上のポニョ」 の構想を練るため、宮崎監督が長期滞在して原画を書いた舞台イメージの元として注目された場所でもある。

鞆の浦

鞆はどこか不思議な空間に迷い込んだような異国情緒溢れる雰囲気だ。

Text: Kenji Renkawa